現代では身近な存在となったお茶。
どの国に行っても様々な形でお茶は存在していますよね。
お茶が現代のように広く伝わるまではとても長い歴史がありました。お茶の歴史はとても深いです。
そんなお茶の歴史を始まりから現代まで、私なりにわかりやすく説明していきたいと思います。
まずはお茶の始まりについて説明していきます。
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お茶の始まりは約5000年前!?中国のお茶の歴史
お茶の始まりは約5000年前だと言われています。お茶はかなり昔からあるようです。
私もお茶の始まりについて初めて聞いたときはかなり驚きました。
それと同時に「本当にそんな昔からお茶が存在していたの?」という疑いもありました。
みなさんも気になりませんか?
日本で約5000年前といえば、縄文時代です。私は歴史に詳しくないのでよくわからないのですが、縄文時代だとお茶なんてなさそうな気がしませんか?
では、約5000年前とかなり昔からお茶があると言われている理由は何でしょうか。
また、どこでお茶が生まれたのでしょうか?
お茶の始まり:760年頃(唐時代)に世界初とされるお茶の本「茶経」が著される。
お茶の始まりは、唐(中国)で著された本に記載されています。
760年頃(唐時代)に陸羽鴻漸によって世界初とされるお茶の本「茶経」が著されました。
その「茶経」によれば、喫茶(お茶を飲むこと)の習慣は約5000年前の神農の伝説に始まるとされています。
神農は医薬と農業の始祖といわれる神様で、野山にある植物の薬効を調べるためにあらゆる植物を食べていました。
さらに一日の終わりにはお茶の葉を煮出して飲んでいたそうです。それがお茶の始まりだと言われています。
それからお茶が伝わったそうです。
中国でお茶が広がる:実際にお茶が広まったのは中国の少数民族から
先ほど言っていたお茶の始まりは、あくまで本に書かれていた伝説のようなものになります。
お茶の広まりについてしっかりと確認が取れているのがここからで、
実際には、中国の少数民族から漢民族へ「眠気が去り、活力を与える」ものとしてお茶が伝えられてからお茶は広まりました。
中国の上流階級の間でお茶は高貴な飲み物として好まれて、中国地方の各地で栽培されるようになったのです。
お茶が広まった唐時代のお茶はどんなもの?
「茶経」には、お茶の始まりだけではなく、「茶経」が著された当時(唐時代)のお茶についても書かれています。
当時は蒸した茶葉を臼(うす)でついて、乾燥させ固めたものでした。
所謂、「餅茶(団茶)」と呼ばれているお茶です。
「餅茶(団茶)」を飲むときは、
- 「餅茶(団茶)」を火であぶって
- 削り出したり砕いたりして粉状にする
- 粉を煮出す
といったやり方でお茶を抽出して飲んでいました。
日本のお茶の歴史
中国から日本へお茶が伝えられたことで日本でもお茶文化が根付きました。
中国から日本へお茶が伝わる:奈良~平安時代初期
一番最初に中国から日本へお茶が伝わったのは、奈良~平安時代初期の頃です。
この頃のお茶は、新芽を蒸して固めた固形茶を粉末にした「抹茶」が一般的でした。
「空海」や「最澄」などの留学僧によって中国からお茶が持ち帰られ、日本でもお茶がたしなまれるようになりました。
お茶が伝えられたばかりの頃は、主に「嵯峨天皇」などの貴人たちによってたしなまれていたそうです。
日本で本格的にお茶が根付いたのは鎌倉時代
日本で本格的にお茶が根付いたのは鎌倉時代から。留学僧の「栄西」が南宋時代の中国から茶樹の種を持ち帰ってきてからです。
その茶樹の種によって、近畿地方から中部地方、関東地方まで主に仏教寺院を通じて茶畑が広まりました。
日本独自のお茶の発展:「茶道」が創始される
日本全国にお茶が伝わり、日本でお茶の製法などが独自の発展を遂げました。
やがて「村田珠光」によって「茶道(わび茶)」が創始されます。
その「茶道(わび茶)」は、やがて茶人である「千利休」によって私たちがよく知る「茶道」へと完成され、現代まで伝えられました。
中国から世界にお茶が広がる
日本だけでなく他の国にも中国からお茶が伝えられ、広まっていっています。
喫茶(お茶を飲むこと)の習慣はシルクロードなどの交易路を通じて、中国からイランなどの中東方面・ロシア・モンゴル・チベットなど各地に広まっていきました。
明代(明王朝時代・1368~1644年)に入ると、比較的製造が簡単で安価な釜炒り煎茶(散茶)が中国のお茶の主流となりました。
ヨーロッパにお茶が伝わったのは少し遅い
ヨーロッパにお茶が伝わったのは、少し遅れていて大航海時代末期の17世紀になってからです。
1610年にはオランダが日本茶も輸入しています。日本茶がヨーロッパで紹介されたのはこれが初めてです。
ヨーロッパでのお茶はまずはオランダ・フランス・イギリスなどの国の上流階級の間で広がり、徐々に一般民衆にも知られていきました。
そして現代までお茶は伝わっています。
英国式紅茶の誕生:イギリスのお茶へのこだわり
ヨーロッパの国の中でも特にお茶についてこだわったのはイギリスでした。お茶の人気がかなりあったみたいですね。
中国からお茶がイギリスへ伝わるとたちまち紅茶がとても人気となりました。しかし、自国で栽培はできなかったため、わざわざ中国から大量のお茶や磁器を輸入していました。
そのため、自国でお茶を生産したかったのです。
1823年に、イギリスがインド北部アッサム地方を支配していたビルマ(現・ミャンマー)を制圧するときにお茶の木(後にアッサム種と呼ばれるようになるお茶の木)を発見しました。
それからイギリスはお茶の栽培と製造に挑みます。
お茶の栽培と製造に力を尽くしていたイギリスはやがて、1838年にはアッサム地方、1852年にはダージリン地方で紅茶の製造を開始します。
さらに最新の蒸気機関などを使った近代的・合理的な製法によって、英国式紅茶が誕生しました。
この製法の英国式紅茶は、砂糖やミルクに負けないような力強い風味が特徴とされています。
現代のお茶文化について
お茶の歴史が長く深いことがわかっていただけましたでしょうか?
ここからは現代のお茶についてまとめています。
現代のお茶は、大きく2つに分けることができます。
- 緑茶や烏龍茶を中心とする喫茶文化
- 紅茶文化
この2つによって現代のお茶文化が形成されているのです。
緑茶や烏龍茶を中心とする喫茶文化
お茶の始まりの国である中国と、1000年以上の歴史と独自の茶文化がある日本、高級茶生産地の東アジアにおける、緑茶や烏龍茶を中心とするお茶文化のことです。
紅茶文化
インドやセイロン(現・スリランカ)、アフリカ各地などの産地を中心として広がっている英国式紅茶の製法をベースに発展している紅茶文化のことです。
おわりに
お茶の歴史についてお伝えしましたがいかがでしたでしょうか?
簡単な説明でしたが、これだけでもお茶の歴史はとても長く深いと感じていただけたのではないかと思います。
お茶の歴史を簡単にまとめますとこのような流れになります。
- 中国でお茶が生まれる
- 中国から日本にお茶が伝わる
- 中国からヨーロッパなど世界全体にお茶が広まる
- 英国式紅茶の誕生
- お茶が世界中に広まり、現代は喫茶文化と紅茶文化でお茶が形成されている
現代に渡って長い時間をかけ、ここまでお茶文化が広がり、
そのおかげで今、お茶を楽しむことが出来ているのかと考えると感慨深いものがありますね。
昔の偉人たちに感謝してお茶をいただきたいところです。